高見勝利・上智大学教授「集団的自衛権『限定行使』の虚実-『保護法益』の視点から」

こんにちは。

本日は雑誌『世界』2015年9月号に掲載された高見勝利・上智大学大学院教授の「集団的自衛権『限定行使』の虚実-『保護法益』の視点から」をご紹介いたします。

「集団的自衛権『限定行使』の虚実-『保護法益』の視点から」『世界』2015年9月号(岩波書店)71-77頁

高見教授は論文の冒頭では、安保法制や集団的自衛権行使を可能とした2014年7月1日の閣議決定(7・1閣議決定)の問題を端的に指摘しています。

「憲法は一国の政治のあり方の基本的な姿を定めるものであって、その変更は一種の革命である。」
「ときの為政者が目先の事象にとらわれ、正規の憲法改正手続きも踏まず、無理な憲法解釈によって軽々に重大な変更を試みるならば、憲法の危機を招くことは必至である。」

このような前提の上に、高見教授は、集団的自衛権行使容認によって保護される「法益」という観点から検討を加えています。

高見教授は集団的自衛権に関する国会答弁を踏まえ、その法益が「間延びした漠たる」ものになっていることを指摘します。そもそも集団的、個別的に限らず、自衛権の行使とは自国の安全と平和に関わる「死活的法益」の保護にあります。しかし個別的自衛権に関しては外国から自国が直接攻撃された場合のような文字通り「死活的」なものであるのに対し、集団的自衛権の場合は「風が吹けば桶屋が儲かる」さながらの法益しか語られず、「死活的法益のきわどい弛緩」が生じています。

従来の日本政府の憲法9条解釈は外国から日本が直接攻撃され、国民の生命、身体等が危険にさらされる場合に限り自衛権の行使を認めてきました。高見教授は、このような立場は、自国の「存亡」に直結する「死活的法益」保護のみを自衛隊の防衛出動の要件とする一方で、集団的自衛権を憲法上許されないとする1972年の政府見解により上記の「死活的法益のきわどい弛緩」を封じてきたものであると評します。

しかしながら集団的自衛権で保護される「死活的」法益は、他国に対する武力攻撃を「契機」に国民の幸福追求の権利を傾斜させる「明白な危険」が「国民の生活に死活的な影響、すなわち国民の生死に関わるような深刻、重大な影響」として生起する場合となっています。高見教授は、個別的自衛権の場合と比較して法益侵害の具体性・明確性や深刻さが希薄になっている点を指摘します。

さらに7・1閣議決定は、個別的自衛権を正当化するための根拠として憲法13条の幸福追求権に言及した72年政府見解を引き継ぎ、集団的自衛権正当化根拠として幸福追求権を援用しています。しかしながら、高見教授は①そもそも憲法13条の幸福追求権は国家権力がこれを侵してはならないものであり、外敵からの武力行使はもとより、他国への武力攻撃を機とした「存立危機事態」に対して我が国が「武力の行使」に訴えることを正当化するものではない、②仮に国家による幸福追求権「保護義務」を憲法13条から導き出しえたとしても、その保護は我が国の主権が及ぶ領域に限られており、例えばホルムズ海峡の事態にまで及びようがない、という二点を挙げて、政府の説明する憲法13条に基づいた集団的自衛権の「限定行使」説は憲法論として破綻していると指摘します。

このように、高見教授は集団的自衛権行使の「保護法益」とされてきた「死活的利益」「幸福追求権」いずれの視点からも、「武力の行使」を正当化しうるような憲法上の根拠は存在しないと結論します。そして、今後参議院の審議が行われる中で、この法案の「違憲性」を明らかにするところに参議院の役割があり、そして世論がそのような違憲な法律の適用を許さないことによって、憲法9条の国民の間での規範として意味を持つことが示される、として論文は閉じられます。

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