大河内美紀・名古屋大学教授「『立ち止まる』という叡智」

大河内美紀・名古屋大学教授の論説「『立ち止まる』という叡智」が、愛知憲法会議の機関紙「愛知憲法通信」8月号に掲載されました。

愛知憲法会議事務局の許可を得て、以下に転載させていただきます。

 

「立ち止まる」という叡智

大河内 美紀(名古屋大学)

国民の理解も声も置き去りにしたまま、安保関連法案の審議が進んでいる。国会の会期を9月27日までに延長、60日ルール(参議院が衆議院の可決した法案を60日以内に議決しないときは、衆議院は、参議院が否決したものとみなすことができる[憲法59条])を視野に入れ、いざとなれば3分の2以上の議席 を確保している衆議院で再可決して「安全に」成立させられる期限である7月下旬が近づいてきた7月16日、連立与党はこの法案の採決を強行し衆議院を通過させた。


熟議の場であるはずの国会審議を「いやでも踏まねばならぬステップ」のひとつであるかのごとく進めていくそのやり方には批判が集中した。また、焦点の法案それ自体についても、集団的自衛権行使の違憲性はもとより、「武力行使と一体化しない」とされる後方支援の実態や対テロ戦争における古典的抑止力論の有効性など、論ずべきことは山のようにある。しかし、本稿ではやや視点を変えて、この間政権が強調しているひとつの言葉に注目したい。シームレス(seamless)という言葉である。


2013年に策定された新たな防衛大綱には「シームレス」という単語が6回登場する。また、議事録によれば、2014年に開かれた国会の本会議・委員会審議中、安倍首相は14の会議で計30回「シームレス」と発言している。いずれも安全保障の文脈におけるもので、「シームレスにしっかりと日本を守る」と いった具合に、この言葉をポジティヴな意味で用いているようだ。シームレスとは「切れ目・継ぎ目のない」という意味で、手元の辞書は用例として「シームレスのストッキング」「シームレス鋼管」などを挙げている。確かに、継ぎ目のないストッキングには脚をより美しくみせる効果があるだろうし、水道管の切れ目は水漏れを引き起こす。シームレスであることは利点に見える。だが、こと安全保障に関して、シームレスであることは本当に「良いこと」なのだろうか。


近代立憲主義のもとでの憲法の要諦は、言うまでもなく、国家権力の統御にある。だが、安全保障すなわち軍事の作用については、話はそれほど単純ではな い。近代国家の誕生は近代的な常備軍の確立とワンセットだったからである。独自性・専門性の高い軍隊の存在は、その暴力装置としての本質ゆえに市民の自由 に対する潜在的な脅威となるが、他方でそれは国家の「安全」を保障する役割を背負う不可欠の要素と捉えられた。


とはいえ、近代立憲主義は市民社会への潜在的脅威をそのままに放置してきたわけでもない。軍を統制するため、さまざまな工夫が試みられてきた。軍の組織 上文民を軍人より上位におく文民優位・文民統制の仕組みを設けたり、軍の編成や宣戦布告の権限を政府ではなく議会に与えるといった工夫である。こうした仕組みは、残念ながら、十全に機能してきたとは言えない。統制が形骸化したり、文民が軍人よりも好戦的なリアクションをすることにより生まれる悲劇を歴史は 語る。軍を安定的・持続的に統制することはきわめて難しい。それでも、いや、だからこそ、軍隊を持つ「普通の国」は試行錯誤を続けてきた。


翻って、安保関連法案である。シームレス=「切れ目のない」という言葉は2015年日米ガイドラインのキーワードのひとつでもあるが、そこで追求されているのは、第一に日米両政府間の連携強化であり、もうひとつが「平時から緊急事態まで」の切れ目のない対応である。また、事が起こった際に閣議決定や防衛 出動命令に時間がかかることを憂慮する与党議員の発言まで広げれば、事態への即応性、すなわち時間的な「切れ目のなさ」も含意されているようだ。


そのため、と言って良いだろう。安保関連法案はこれらの「切れ目」を塞ぐべく設計されている。例えば、自衛隊法改正案では平時において「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事」している米軍等外国の軍隊の部隊の武器等を警護するために自衛隊が武器を使用することを認める規定が新設されてい る(95条の2)。いわゆるアセット防護であるが、ここで言う「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動」として、政府は、情報収集・警戒監視活動や能 力向上のための共同訓練などを想定している。アメリカおよびそれと歩調を合わせる諸外国との文字通り「同盟」と呼ぶにふさわしい緊密な連携を前堤としたも のである。


また、自衛隊の海外派遣のトリガーとなる重要影響事態(周辺事態法改正案)と国際平和共同対処事態(国際平和支援法案)とは定義上重なりあう。前者は 「我が国の平和及び安全」、後者は「国際の平和及び安全」に軸足を置くものだが、2つの事態のうち特に前者の定義は広範かつ曖昧で両者は厳密には区別でき ない。政府はその広範な定義を用い、さまざまな場面できわめて「柔軟に」自衛隊の海外派遣を行うことができる。


さらに、それら自衛隊の活動に対する国会の関与は限定付きのものとなった。「例外なき事前承認」が求められるのは国際平和共同対処事態における対応措置のみで、重要影響事態の場合には「緊急の必要性」があれば事後承認も認められる。存立危機事態(武力攻撃事態法改正案)における防衛出動の場合にも「緊急 の必要性」があり「国会の承認を得るいとまがない」場合には事後承認が可能とされている。時間的に「切れ目のない」対応を目指してのことである。


しかし、安保関連法案の目指すこうしたシームレスな対応は、日本国憲法9条は勿論のこと、軍を統御しようと苦闘してきた立憲主義の営為にすら逆行するものではないか。各種事態の定義の曖昧さはその分だけ政府の裁量の余地を広げるが、それは法による政府の活動の統制からの離脱を意味する。国会の関与を後回 しにすることは軍事的なるものに対する政治の統制力を弱めることに繋がる。安保関連法案に先駆けて防衛省設置法改正案が6月10日に参議院で可決されたが、これはこれまで日本的なシビリアン・コントロールのひとつと考えられてきた防衛省内部の内局における背広組(文官)と制服組(自衛官)との間の「文官優位」の仕組みを見直すものである。新たな制度が軍事的なるものへの歯止めとなるかは未知数だ。アメリカとの同盟の強化も政策判断における憲法の規律を弱 めかねない。


危機の言説を伴って語られる安全保障論において、シームレスという言葉は確かに魅力的だろう。しかし、それが自由への脅威となりうることを自覚し、敢えてそれに「切れ目」を設け、立ち止まる機会を確保することが憲法の叡智である。シームレスというキャッチフレーズのもと、権力が融通無碍に行使されるよう なことはあってはならない。

 

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