新安保法制の撤回を求める信州大学人の会・共謀罪の制定に反対するアピール(2017年6月13日)の紹介

新安保法制の撤回を求める信州大学人の会・共謀罪の制定に反対するアピール

を紹介します。

 

2017年6月13日、新安保法制の撤回を求める信州大学人の会は、第24回シンポジウムを開催し、治安維持法下の俳句弾圧について、俳人で比較文学者のマブソン青眼先生にご報告をいただきました。その後、共謀罪の制定に反対するアピール文を採択しました。

 

アピール文

日本国憲法前文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。この「人類普遍の原理」は、国民が制定した憲法のルールに権力者が真摯に従うという態度をもつことが前提になっている。

しかし、2012年12月に誕生した安倍政権には、この「人類普遍の原理」を遵守しようという態度が見られない。

①内閣法制局長官の人事に介入することによって、自衛隊発足以来60年間続いてきた憲法9条に関する内閣法制局の見解を変更させた。

②2014年12月に、ほとんど実質的な理由のない恣意的な衆議院解散を強行し、新安保法制の制定に備えた。

③2015年9月19日に、憲法9条違反の新安保法制を制定した。衆議院でも参議院でも委員会において「強行採決」がおこなわれた。

④新安保法制強行後、憲法53条の要件を満たした国会議員の要求があったにもかかわらず、臨時会の召集を決定しなかった。

⑤2016年7月の参議院選挙において「憲法改正は争点ではない」と言い続けて3分の2の議席を確保し、その約束に反して、憲法改正を進めようとしている。

この安倍政権が、現在、制定しようとしているのが共謀罪である。共謀罪は、既遂を原則とする刑法体系を変質させ、具体的な犯罪行為がなされる前の段階での「計画」が犯罪となる。また、277もの犯罪について相談をしたことが犯罪の基礎となる共謀罪は、団体の自由な活動に対し、警察による捜査を可能にする。

TOC条約の批准のために、このような包括的な共謀罪が必要ないことは、すでに明らかになっている。また、共謀罪を「テロ等準備罪」と呼び名を変更したことは、「条約批准のため」という大義名分と齟齬がある。しかも、テロリズムという文言が当初条文にないという指摘を受けて、「組織的犯罪集団」の前に「テロリズム集団その他の」という文言を追加したというお粗末さである。

「組織的犯罪集団」とは、結合関係の基礎としての共同の目的が犯罪を犯すことである団体であり、2人以上の者が犯罪の遂行を計画し、そのうちの誰かが準備行為をおこなった場合、共謀罪が成立する。しかし、団体の性質は捜査機関が判断する。結局、国民の自由な政治活動のための結社が、捜査と処罰の対象になる危険性が極めて高い。

このように共謀罪はプライバシー権と表現の自由を侵害する。しかもそのことは、国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏によって指摘されているのである。監視を受けない自由な市民が、自由に結合することによって、権力に対して批判的に対峙することは、「人類普遍の原理」の一部である。これまでその原理に反する行動を繰り返してきた安倍政権は、ついに、市民による自由な社会的政治的活動を抑制しようとしている。政権の主張する共謀罪制定の理由がことごとく崩されているのであるから、そう理解するしかないだろう。

わたしたちは、戦前の経験に学ぶ必要がある。たとえば、俳句はもっとも民衆的な娯楽であり、もっとも民衆的な芸術のひとつだろう。そして,それは数多の結社によって成り立ち、人びとの苦しみや悲しみ、喜びをつないできた。戦争を繰り返したかつての大日本帝国は、こうした「つながり」にも権力の弾圧を及ぼしたのだ。

現在、この国の社会で「きづな」や「つながり」ということばがあふれているにもかかわらず、人びとが自発的につどい、共感を寄せ合うことが権力の監視・弾圧の対象になりつつある。国民主権をささえる人びとの「公共圏」、その基礎となる共感を寄せ合う「親密圏」そのものが奪われようとしている。

2017年5月3日、安倍首相は、ついに憲法改正の具体的な案を提示した。共謀罪によって市民の自由な政治的活動が委縮させられる中で、憲法改正のための真に適正な国民的な議論の場が確保されるだろうか。

わたしたちは、日本社会の将来のために、過去の経験に学ぶことが重要だと考える。わたしたちは、共謀罪の制定に強く反対する。

2017年6月13日 新安保法制の撤回を求める信州大学人の会


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