君島東彦・立命館大学教授の「京都民報」でのコメント「制約失い〝普通の軍隊〟に」

立命館大学国際関係学部の君島東彦教授の「安保関連法案」についてのコメント「制約失い〝普通の軍隊〟に」「京都民報」(第2694号、2015年7月5日付)第8面に掲載されました。

君島教授のご了解を得ましたので、以下、ご紹介いたします。

 

制約失い〝普通の軍隊〟に

        君島東彦   立命館大学国際関係学部教授

 

わたしは、自衛隊は先進性を持つものだと考えています。自衛隊は実力組織ですが、9条に行動を制約され、完全な軍隊になりきっていない。世界全体を見渡してみて、自衛隊ほど憲法や法律によって行動の自由を制約されている実力組織はありません。世界の軍隊も自衛隊のように憲法と法律によって武力行使が制約されるべきという意味で、先進的です。しかし、安保法制は、その「先進性」を破壊して自衛隊を「普通の軍隊」に近づけてしまうものです。

英国の政治学者マーティン・キーデルは戦争と平和に関する立場を、5類型にわけました。その中に、「漸進的平和主義」と「絶対的平和主義」があります。前者は、長期的には戦争と軍事力の廃絶をあきらめないが、短期的には攻撃された時に備え防衛のための軍備の保持と武力行使を認める立場。後者は、一切の戦争と軍事力を認めない立場です。戦後の日本では、この2つが無自覚に共存していました。日本の安全保障政策はこれらの枠内にとどめ続けることが重要です。しかし、安保法制はこの枠から出ようとするものです。

戦後、日本では「憲法に基づく政治」と「安全保障」が一体として議論されてきました。しかし、本来これらは別の問題です。憲法を守れば安全保障の問題が解決する、という話ではありません。安全保障のことを考えるには、世界秩序を見なければならない。世界秩序の問題を無視して、平和は実現できないのです。

「武力によらない平和」の思想、考え方を共有する人は、世界中にいます。平和をつくる勢力は、国家ではなくて世界の市民社会です。わたしたちには平和な世界秩序をつくっていく責任があります。しかしそれは武力でつくるものではなく、市民社会がつくっていくものなのです。

「京都民報」(第2694号、2015年7月5日付)第8面掲載

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